神戸地方裁判所 平成9年(ワ)1945号 判決 2000年7月06日
原告
木村靖
被告
米田昌己
主文
一 被告は、原告に対し、金二四二七万三六四六円及びこれに対する平成七年六月四日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを三分し、その一を原告の、その余を被告の、各負担とする。
四 この判決は第一項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一原告の求めた裁判
被告は、原告に対して、金三八〇八万〇五三〇円及びこれに対する平成七年六月四日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 本件は、後記の交通事故(以下「本件事故」という。)により傷害を負った原告が、自動車損害賠償保障法三条に基づき、損害賠償を求めた事案である。
附帯金は本件事故発生の日からの民法所定の利率による遅延損害金の請求である。
二 前提となる事実(当事者間に争いがない。)
1 本件事故の発生
(一) 発生日時
平成七年六月四日午前〇時二五分ころ
(二) 発生場所
神戸市兵庫区新開地三丁目一―一四地先道路上
(三) 事故の態様
原告が普通乗用自動車(神戸七七ぬ三〇二八)を運転して、右交差点を青信号に従って南から北に向かって時速四〇キロメートル弱で進行していたところ、被告が軽四輪自動車(神戸五〇に二三二六)を運転して、前方の赤信号を無視して東から西に直進しようとして、原告車両の右前部に衝突した。
(四) 事故の結果
原告(昭和四〇年一〇月一日生。本件事故当時二九歳)は、本件事故により頭部外傷Ⅱ型、両膝打撲の傷害を負った。(他の傷害については、因果関係に争いがある。)
2 責任原因
被告は、その運転車両の運行供用者として、原告に対し、自動車損害賠償保障法三条に基づき、原告が本件事故による負傷のため被った損害を賠償する責任がある。
三 争点
1 原告の傷害及び後遺障害
2 原告の損害
四 争点1(傷害及び後遺障害)に関する主張
1 原告
(一) 原告は、本件事故により、頭部外傷Ⅱ型、両膝打撲の傷害のほか、右膝蓋靭帯付着部炎、両股捻挫、両弾発股、異常脳波等の傷害を負った。
(二) 原告は、吉田アーデント病院に次のとおり入通院して治療を受け、平成八年一二月一六日に症状固定と診断された。
入院
平成七年六月七日から同年一〇月二四日まで (一四〇日)
平成七年一一月二七日から平成八年二月二一日まで (八七日)
通院
平成七年一〇月二五日から同年一一月二六日まで
(実通院日数一九日)
平成八年二月二二日から同年一二月一六日まで
(実通院日数一六七日)
(三) その後も、保存的治療のため一週間に二回位の割合で右病院に通院治療を受けているほか、秋から冬にかけては、冷気による疼痛緩和のため医師の指示で温暖地に転地療養している。
(四) 原告には次の後遺障害が残った。
(1) 左右股関節にそれぞれ著しい機能障害(それぞれ自動車損害賠償保障法施行令別表一〇級一一号該当)
(2) 左右両膝関節にそれぞれ著しい機能障害(運動可動域は二分の一未満であるが、ほぼそれに近い。)(それぞれ同表一〇級一一号該当)
(3) 左右両足関節に機能障害(それぞれ同表一二級七号該当)
2 被告
(一) 本件事故により、原告が頭部外傷Ⅱ型、両膝打撲の傷害を受けたことは認めるが、その余の右膝内障、両股関節捻挫、両弾発股、異常脳波等の傷害と本件事故との因果関係は知らない。
(二) 原告がその主張のとおり吉田アーデント病院に入通院したことは認めるが、右因果関係のある症状以外の傷害に対する治療については因果関係を争う。
(三) 症状固定後の保存的治療についても不知。
(四) 後遺障害についても争う。自動車保険料率算定会は、平成九年三月一一日、非該当と認定した。
原告の弾発股は、専ら原告の既往症によるものである。それが悪化したとすれば、心因的要素(ないしは心身症)によるものであり、本件事故と相当因果関係はない。
その余の症状は、弾発股の手術後発生したものであり、本件事故とは無関係で、その発生・悪化は、原告に帰する事由(既往症ないし素因・心身症など)によるものである。
五 争点2(損害)に関する主張
1 原告
(一) 治療費
症状固定日までの治療費(三七〇万一三八四円)については、原告加入の健康保険により支払われ、本人負担分は、被告加入の自動車保険によって支払われた。
(二) 入院雑費 三四万〇五〇〇円
入院日数 227日×1,500円/日=340,500円
(三) 通院交通費
通院交通費七八万二五六〇円については、被告加入の自動車保険から支払を受けた。
(四) 通院付添介助費 七四万四〇〇〇円
自力でタクシーに乗降不可能であり、かつ歩行が著しく困難であったため、介助を要した。
実日数 186日×4,000円/日=744,000円
(五) 休業損害
症状固定までの休業損害については被告加入の自動車保険から支払を受けた。
(六) 後遺障害による逸失利益 二一五九万六〇三〇円
原告の事故前の給与月額 二四万九三〇〇円
(年収二九九万一六〇〇円)
原告の症状固定時の年齢 三〇歳
稼働可能年数 三七年
後遺障害等級 九級(労働能力喪失率三五パーセント)
2,991,600×0.35×20.6254(新ホフマン係数)=21,596,030円
(七) 傷害慰謝料 四〇〇万円
入院九か月、通院一一か月による。
(八) 後遺障害慰謝料 八〇〇万円
原告の後遺障害は、前記のとおり、左右両下肢の三大関節の全てに機能障害を残すもので、そのうち股関節と膝関節の傷害の程度はいずれも著しく、特に股関節の機能障害は極めて重大で、両手で常時後ろから体を支えなければ椅子に腰を掛けることもできない(このため手仕事もできない。)。今後四〇年近い労働生活における就労の可能性について努力しているが、職業安定所においても求職者として受理を拒まれ、身障者施設を紹介される有り様で、現実に生涯にわたって就労の機会を得ることは殆ど不可能である。また、保存的治療として週に二回の通院のほか、転地療養も行っている。このような保存的治療が相当長期間続く可能性が強い。収入の途がないのに将来とも相当の出費をよぎなくされ、経済的重圧も頗る重大である。
(九) 弁護士費用 三四〇万円
(一〇) 合計 三八〇八万〇五三〇円
2 被告
(一) 治療費及び通院交通費については認めるがその余は争う。
(二) 被告の加入する自動車保険から、原告主張のとおり治療費のうち本人負担分が支払われたほか、六五四万一九三四円が支払われた。その名目は、休業損害で四六三万三三一〇円、賞与減額で五四万円、交通費の内払いで一三六万八六二四円である。ただし、これらは、いずれも概算で支払われただけであり、実損害が発生したことは争う。
第三争点に対する判断
一 争点1(原告の傷害及び後遺障害)について
(一) 証拠(甲四三ないし四七、六九の1ないし12、七〇、七四、七五、証人高村学、原告本人)によると、次のとおり認められる。
(1) 原告(当時二九歳)は本件事故直後、一過性の意識消失があった。市民病院、海岸病院を経由して、事故翌日の平成七年六月五日、吉田アーデント病院を受診した。両膝痛と前額部痛を主訴とし、頭部外傷Ⅱ型、両膝打撲と診断された。膝に骨折はなかったものの、両膝が腫れており、念のため膝関節穿刺を行ったが、血液や関節液の吸引はできず、膝関節の不安定性(側方、前後方)もなく、内外の副靭帯の圧痛もないため「打撲」とのみ診断された。同月七日、同病院を再度受診したが、両膝の腫張が続いていた。原告が入院を希望したのに対して、代診した池田医師は不要と診断したが、院長が再診し、右股関節部痛も認められるとして、入院させた。
(2) 翌八日以降も、両膝の痛みが軽減せず、主治医となった高村学医師は、ニーブレイス(膝用の取外し可能な固定器具)の装用を処方した。このとき原告は同医師に、左弾発股現象を訴え、高校時代にサッカーをしていて一時的に酷くなったことがあり、安静にしていて治っていたのが、再発した旨を訴えた。
弾発股とは、腸脛靱帯(腸骨と脛骨とを結ぶ靱帯。股関節と膝関節を越えて、大腿骨に沿って伸びる長い靱帯である。)が、股関節の運動時に大転子の隆起部上をすべるに際して軋音を発する現象である。筋が弾かれるような小さな衝撃もある。
(3) 六月一五日の診察時には、左弾発股現象がひどくなり、股関節外旋と股関節屈曲でクリック音が聞こえた。膝痛が左の方に強く現れていたことから、ニーブレイスは右膝から左膝に変更された。六月一九日ころから膝痛は徐々に軽減傾向となったが、弾発股現象がだんだん増強し、六月二三日には右股関節にも弾発股が現れた。股関節周囲筋の筋力強化のために六月一九日から理学療法を始めていたが、六月二三日には、両股関節とも弾発が強くて理学療法が不可能なほどとなり、ゴムバンドで股関節を圧迫するようにしたが、以後、股関節、膝関節とも症状が増悪するようになった。
(4) 高村医師は、もともと原告が弾発股の素因を有していたのが、膝痛のために膝をかばったことや膝固定具(伸展具)を装用したことで、歩行時に股関節外転ひきずり歩行やぶん回し歩行となり、股関節に負担がかかったことから、弾発股現象を引き起こしたもので、間接的ではあるが、事故と因果関係があるものと判断した。
そして、膝痛は日にち薬である程度よくなるだろうし、股関節は手術せずに筋力強化で保存的に治療する、との方針を立てた。
(5) 弾発股は、外から聞くだけでもゴクッという異音が分かるほど強くなり、七月一八日ころ兵庫医科大学の田中講師に診察して貰ったが、受傷後の筋力低下が原因の一つであることは明らかであり、筋力訓練を行いながらしばらく様子を見たうえで、改善しないようなら手術する、ということになった。八月一日田中講師の診察を受けると、弾発股現象は増強していた。二週間リハビリをしたあと、手術するか否かを決めることになり、八月一五日に診察を受けたところ、左股関節痛、左膝痛があり、手術を受けることになった。
(6) 八月二二日、手術が行われた。左腸脛靱帯の緊張が強かったので、これを延ばす手術であった。二週間の絶対安静と四~五週間の安静を経た結果、左弾発股の出現もなくなり、手術は成功した。左膝蓋部周囲の痛みと、右弾発股が続いていたので、膝サポーターや股固定帯、足底板などが処方され、日常生活動作が可能となって、一〇月二四日退院した。
(7) 外来通院中は、両膝痛(膝蓋骨の下で、膝蓋靱帯の付着部の痛み)を主に訴えていた。原告が長身であり、骨格と筋・靱帯の長さが非常に微妙なバランスで均衡を保っていたのが、痛みによる緊張や手術による筋靱帯系の延長によってアンバランスとなり、骨・靱帯の付着部のストレスとなり、痛みとなって出現したものと考えられた。
(8) 左弾発股の手術成績が良好であったことから(弾発股で手術まで行うのは稀であり、高村医師や田中講師は未経験であったことから、左側の手術結果を確かめた。)、一一月二八日に右弾発股の手術が行われた。術後経過は良好で、平成八年一月一七日には歩行器歩行を始め、二月六日にはゆっくりと独歩も可能となったが、階段の昇降は不可能で和式トイレ動作も不可能で、両膝の痛みを残したまま、二月二一日に退院した。
(9) 以来、原告は同病院または、高村医師が同病院を退職後に開業した高村整形外科医院に通院している。理学療法のうち温熱療法と両膝の靱帯付着部への局所麻酔・ステロイド剤の注射である。冷えると痛みが増悪するため、使い捨てカイロの使用と股固定帯の着用は欠かせない。ステロイド剤は組織の脆弱化を来すため、なるべく我慢し、耐えられないときのみ局部注射をしてきたが、左股関節は理学療法のマイクロウェーブの温かみが感じられなくなっていった。それでも、体調のよいときは、筋力訓練を頑張り、両側の大腿四頭筋の筋萎縮改善に努めている。
(10) 平成八年八月の終わりには大分良くなっていたが、坂道や階段歩行はできず、平地でも長距離になると足を引きずる状態であった。
秋になって再び局所の冷感とそれに伴う痛みや可動域制限が強くなり、増悪の一途となり、原告は一一月には、南国(タイ)に転地療養をした。症状が軽減し、階段もゆっくりとではあるが昇れるようになったが、帰国すると、却って悪化した感であった。左膝の冷感が頑固であるため、RSD(反射性交感神経性ジストロフィー)も疑われたが、サーモグラフィー検査の結果、否定された。
(11) 高村医師は、平成八年一二月一六日付けで、症状固定診断書を作成した。いつ固定したとは診断できないものの、以下のような症状が固定していた。
両膝(両膝蓋靱帯付着部)痛及び両股(大転子部)痛により、日常生活動作困難、歩行困難、下垂坐位困難がある。MMTによる筋力は、下肢の粗大筋力が、右が四マイナス、左が三である(正常値は五)。大腿周囲径は、膝上一〇cmで、右は四一cm、左は三八cm、膝上二〇cmで、右は三六cm、左は三三・五cmであり、下腿周囲径は、右三二cm、左三三cmである。レントゲン写真上、左大転子から骨幹部にかけて著明な骨萎縮像があり、両膝蓋下部、脛骨粗面に軽度の骨萎縮、両膝蓋骨とも形状はWiberg分類Ⅲ型である。下垂坐位(椅子に掛ける体位)は股関節・膝関節を伸展位としないと無理であり、尻をずり落とすような恰好でないと椅子に掛けることができない。
関節可動域は、次のとおり、著しい制限がある(他動による測定結果。正常値は労災の障害等級認定基準による。なお「P」は、疼痛を伴い、それ以上測定することができないという意味である。)。
右(度)
左(度)
正常(度)
股関節
屈曲
六五P
五〇P
九〇
伸展
〇
〇
〇
外転
二五
一八P
四五
内転
三五
一五P
二〇
内旋
三五
二五P
四五
外旋
七五
六〇
四五
膝関節
屈曲
八五P
七五P
一三〇
伸展
〇
〇
〇
足関節
背屈
一五
一〇P
二〇
底屈
七〇
七〇
四五
(なお、足関節の底屈及び股関節の外旋の測定値は、正常値とは逆方向からの値と解される。)
右診断までに、原告は、吉田アーデント病院に平成七年六月七日から同年一〇月二四日まで(一四〇日)と同年一一月二七日から平成八年二月二一日まで(八七日)入院し、平成七年一〇月二五日から同年一一月二六日まで(実通院日数一九日)と平成八年二月二二日から同年一二月一六日まで(実通院日数一六七日)通院した。
その後も、保存的治療のため一週間に二回位の割合で通院している。
(二) 右認定の症状経過、診断内容のほか、前記の甲七四、七五及び高村証言によると、原告に本件事故後生じた弾発股は、膝固定具の使用により、歩行時に股関節を異常に運動させたことから、原告の既往症である弾発股が再発したものであり、その弾発股が異常に強度なものとなったために手術を行ったところ、痛みによる緊張や手術による筋靱帯系の延長によって、骨・靱帯の付着部のストレスとなり、痛みとなって出現したものと解され、その結果、後遺障害と診断された症状が生じたものであって、これらの症状に対する治療としての右入通院や、これらの症状に伴う日常生活動作困難、歩行困難、下垂坐位困難は、本件事故と相当因果関係のあるものということができる。
なお、受傷当初の平成七年六月中旬、原告は右眼の深部鈍重感を訴え、右眼瞼下垂気味で、瞼の小さな痙攣が認められたことから、脳外科の診察を受けたが、神経学的異常はなくCT写真にも問題はなかったこと、六月下旬に脳波検査を受けたところ、シャープ波が出ていることから一応脳波異常と思われたが、その後は、正常化し、脳波異常との診断名も除かれていること(甲四、五、四四、四五)からすると、脳波異常はごく一時的に認められたものの、傷病と言える程度に至ったとは認められない。
(三) 右の股関節及び膝関節等の障害の認定に対して、被告は、相当因果関係を争う。
そして自動車保険料率算定会は、原告には後遺障害が認められないとして、原告の受傷当初の診断は、膝打撲だけであったこと、原告のレントゲン写真では、膝、股関節とも骨傷等の器質的損傷所見がないこと、膝関節や股関節の靱帯損傷等の軟部組織の損傷を窺わせる異常所見もないことから、本件事故の外傷に起因したものとは捉えられないとする(乙二)。
また、木村博光医師はその作成にかかる意見書(乙三)で、次のとおり述べる。弾発股は股関節外の慢性の症状であるから、不自然な歩行のためアンバランスな股関節の使い方をしても、あるいは股捻挫があっても、弾発股に影響を及ぼすことは考えられない。また、筋力低下があれば、弾発股はむしろ軽快するはずである。原告は、精神不穏があるなど、心理的に不安定であったことからして、弾発股は心因的要素によって、既往症が悪化した可能性がある。後遺障害とされる症状は弾発股手術によって生じたものであり、本件事故と相当因果関係はない、と。
しかし、レントゲン写真所見等により靱帯の損傷や緊張が見て取れる筈はないし、本件事故直後に股関節症状がなかったからといって、膝損傷に対する措置としての固定具の使用が不自然な歩行態容を招いて弾発股を再発させた、との高村医師の判断を否定し得るものではない。
また、木村医師の意見書は、弾発股が股関節外の症状であることから、不自然な歩容では発生しないとするものであるが、股関節の不自然な動作が、大転子付近の病的変化を来すことがないと断定できるとは思えない。整形外科の教科書(神中整形外科学など)にも、弾発股が外傷によって起こされ、しばしば障害を伴う、ともされており、弾発に伴う不快感や疼痛、外転歩行などの歩容異常等の日常生活動作上の障害を呈するものにおいては手術を考えるとされているのであって(甲七四)、心因反応と決めつけることはできない。
従って、原告の一連の症状は、本件事故から直接に生じた訳ではないものの、両膝打撲に対する治療の必要上行った固定具の使用を機縁として、既往症が再発したものであって、本件事故と相当因果関係があるものというべきである。
(四) もっとも、右のように症状が悪化し、前記のような後遺障害を残したのは、原告に弾発股の素因があったことに原因していることはいうまでもないから、損害の衡平な分担という観点から、原告が本件事故で被った損害については、民法七二二条二項を類推適用して、二〇%の限度で素因減殺を行うのが相当である。
二 争点2(損害)について
1 原告は、昭和四〇年一〇月生れで、本件事故当時、株式会社神戸日建という建築業に勤務して、店舗内装の現場監督ないし職人として働いていた。
本件事故のため、右作業には従事できなくなり、その後、歯科技工士の資格を取得すべく、専門学校に入ったが、椅子に掛けていることができないことなどから、退学し、現在無職である。寒い季節には膝や腰の疼痛のために、転地療養するなどしている。平成一〇年一月二〇日には身体障害者手帳(四級)の交付を受けた。
(甲四二、四七、原告本人)
2 損害額
(一) 治療費
症状固定日までの治療費は原告加入の健康保険により支払われ、本人負担分は、被告加入の自動車保険によって支払われた(争いがない。)が、その支払額がいくらであったかは不明であるから、本件では考慮しない。
(二) 入院雑費
一日一五〇〇円の割合で認めるのが相当であり、入院日数は合計二二七日であるから、合計三四万〇五〇〇円となる。
(三) 通院交通費
通院交通費として、七八万二五六〇円が被告の加入する自動車保険から支払われたことは争いがない。原告の右認定の症状や弁論の全趣旨によると、原告の自宅と吉田アーデント病院との距離からして、合計一八六日の通院に右程度(一日平均約四二〇〇円)の交通費(タクシー代)を要したものと認められる。
(四) 通院付添介助費
原告の歩行状況や、後遺障害の程度から見て、右の通院に当たっては、原告は介助を要したものと認められるところ、その費用としては一日四〇〇〇円の割合が相当である。そうすると、合計七四万四〇〇〇円となる。
(五) 休業損害
原告の事故前の給与月額は二四万〇九〇〇円(交通費を除く)であって、年額にすると二八九万〇八〇〇円であり、このほか、半年毎の賞与として、平成七年八月期には二二万三〇八〇円の支給があった(甲四一の2。なお右賞与額が本件事故による欠勤によって減額された結果であることを認めるべき証拠はない。)。
右からすると、本件事故発生の平成七年六月四日から、症状固定の平成八年一二月一六日までの五六二日間の休業損害は、月額給与分が四四三万八八七八円、賞与が二回分で四四万六一六〇円、合計四八八万五〇三八円となる。
(六) 後遺障害による逸失利益
前に認定した原告の後遺障害は、左右両下肢の三大関節の全てに機能障害を残すもので、そのうち股関節と膝関節の傷害の程度はいずれも著しく、特に股関節の機能障害は、両手で常時後ろから体を支えなければ腰を掛けることもできないほどであることからすると、少なくとも、自動車損害賠償保障法施行令別表の九級に該当するものとするのが相当であり、原告の労働能力喪失の程度は三五%を下らないものと認めるのが相当である。
そこで、症状固定時三〇歳である原告が、六七歳まで三七年間に稼働して得ることのできたはずの、右認定の収入の三五%を失ったものとして、ライプニッツ方式により中間利息を控除して、逸失利益を算定すると、一九五一万七三七八円となる。
(2,890,800+446,160)×0.35×16.711=19,517,378
(七) 傷害慰謝料
前に認定した原告の傷害の程度、治療状況、治療期間(入院約七か月、通院約一一か月)等を総合するとすると、右慰謝料としては、三五〇万円が相当である。
(八) 後遺障害慰謝料
前記認定の原告の後遺障害の部位程度を考えると、右慰謝料は六〇〇万円をもって相当とする。
(九) 素因減殺
前記したとおり、原告の本件事故による傷害がこれほど重大化したのは、原告の既往症の寄与が小さくないから、民法七二二条二項を類推適用して、右損害合計三五七六万九四七六円から二〇%を減殺すると、原告が被告に賠償を求め得る額は、二八六一万五五八〇円となる。
(一〇) 損害填補
また、原告が、被告の加入する自動車保険から、合計六五四万一九三四円(治療費を除く。)の内払いを得たことは原告において明らかに争わないから、これを右から控除すると、残額は二二〇七万三六四六円となる。
(一一) 弁護士費用
原告が、本訴の提起遂行を原告訴訟代理人に委任したことは当裁判所に顕著であるところ、本件訴訟の経過、右認容額その他本件に現れた諸般の事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係のある損害といえる費用報酬額は、二二〇万円をもって相当とする。
3 そうすると、原告が被告に賠償を求め得る損害額は、二四二七万三六四六円となる。
三 まとめ
以上により、原告の請求は、右金額とこれに対する本件事故の日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を求める限度で理由があるものとして認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条、六四条を、仮執行の宣言について同法二五九条一項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 下田正明)
(別紙) 損害計算表